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難病と向き合い続けた従妹の想いを受け継いで
この法人を設立した大きな根本には大好きな従姉の存在があります。
彼女は20歳という若さで「原発性免疫不全」という小児が発症しやすい難病を発症し、約20年もの間
自ら投薬等の実験台となり、抗がん剤を含む数多くの薬や検査を受けいました。
心身共にボロボロになりながらも、同じように苦しむ方々に何か出来ないかと手話を覚えたり、
小児病棟を訪問したりと人生全てを「未来」のために捧げてきました。
従姉が他界する前にお見送りの時の化粧を私にお願いをしてくれ、涙をこらえながらも一番きれいな顔でお見送りをし、その遺志を引継ぐ事も誓いました。
非営利型法人を複雑性PTSDを持つ障害者の私が行う事も、未だに理解され難いままですが、多くの命や心に出逢い、笑顔の花を咲かせたいという想いは変わりません。
経歴history
概要 | ・幼少の頃は内向的で友達の輪に入る事が苦手 ・アレルギー性アトピーにより手足がかさぶただらけで「ばい菌」等とイジメを受ける ・中学生になり外見のイジメに加え、特定の女子グループからの突然のシカトなどを受けショックを受ける反面、馬鹿馬鹿しいと一匹狼となり他行の不良達や、当時騒がれた渋谷センター街にて「自分の居場所」を作るために非行に走る。 ・高校も行かない予定が、家族からの「高校までは・・」という願いで受験をする。 ・高校を卒業後すぐにプロスノーボーダーとしてニュージーランドに半年間渡航予定が、 渡航前日に愛猫の大病が発覚し日本に残る事を決意 ・大学に行く選択肢もあったが、「親のお金で目的もなく大学に行く」事に疑念を抱き、すぐに派遣会社に登録をし大手企業にて総務や営業事務、販売等やアルバイトをする。 ・19歳の時に大きな性被害に遭い、世間でいう「普通の日常や働き方」が出来なくなる。 ・多くの心療内科や精神科、カクンセリングなども渡り歩いた中で、日本のカウンセリング等の方法が苦手で、痛みを打ち明けられる場所がなく苦しみを抱えたまま仮面をつけ耐えてきた。 ・複雑性PTSDという理解が難しい病気を「理解して支える」という人に出会い結婚、出産まで出来ましたが、やはり理解が難しかったようで離婚となりました。 ・シングルマザーとなり、病気持ちでも出来る事を探し続け頑張ってきましたが、急なパニックや鬱などで長く続けられる事が不可能でした。 ・そのような経験があり、いつかはクライアントに寄り添った弁護士になりたいと独学で法律を学び何年後かには大学の法学部を目指すと頑張っておりました。 ・法律以外にも人の役に立てられるような資格を取る ・行政書士の受験の直前に第二子を授かり、重いつわりと妊娠中のバセドウ病となり受験は子育てが落ち着いてからと決める ・シングルマザーのまま出産を決意しましたが、お相手のご両親よりお願いをされ出産後に大切な約束をし結婚となるが、何度も約束を破られ酷い事もあり離婚となる。 ・子供に父親をと三回目の結婚もしましたが、それもまた病気や障害の事で呆れられたり、一緒に迎えた保護犬と私の友人から預かった二匹と暮らし、ある日知人より保護した猫が連続出産で生まれそうとの事で産後すぐに様子を見に行ったところ3匹が育児放棄になりかけているとわかり即家に連れて帰り、ミルクから懸命に育てていたところ、「早く追い出せ」という言葉で決意をし、先ずは子猫達と一緒に実家に戻ったところ「犬達を置いていった」との事で会わせてもらえないまま月日は経っています。 ・その中の老犬だったダックス爺様だけは「臭いから」という理由で引き受けをお願いしてきましたが、私にとっては早く迎えたかったので引取り最期まで大きな愛情で一緒に過ごせました。 ・動物の命や心も人間の都合で決める事は嫌で、自身の法人の中できちんとした動物保護も行うと決める。 ・動物との触れ合いは愛情ホルモンが沢山分泌するので動物アレルギー以外の方には積極的に触れ合ってもらう事にしました。犬との触れ合いが愛情ホルモンであるオキシトシンが一番出ると言われておりますが、猫の喉鳴りも癒し効果や傷の治癒効果があると言われております。 |
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